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カッパドキア地方において孤独に隠遁生活を送っていた人々は、修道院や教会とは関係が無かったにもかかわらず、キリスト教社会のなかで重要な勢力の一つとなっていた。こういった生活を送っていた人々は、日々の生活に必要なものを得るためにさえも自ら働くことはぜず、信者達や修道院などからの寄付によって生活をしていた。 2世紀末にカッパドキアにはいくつかの重要なキリスト教社会が存在していた。その中でこの時代によく知られた2つの司教区があった。一つは長期にわたってキリスト教社会の中心であったカイセリ、もう一つはマラティアであった。3世紀には強い影響力をもった修道士達が、これらの地区を信仰と思想の繁栄する文化的に豊かな場所へと発展させた。 4世紀にはカッパドキアは、3大聖徒(カイセリ司教聖バジル、その兄弟でニッサ出身のグレゴリー、ナジアヌスル・グレゴル)の故郷として知られるようになった。この時代は文化的側面からみるとかなり発展した時代であったにもかかわらず、外部勢力の侵攻により僅かな期間でその幕を閉じた。カイセリ司教聖バジルの祝賀祭は1月の1日と2日に行われます。 カッパドキアで広大な土地を所有する大地主の家庭に生まれた聖バジルは、まずコンスタンチノープル(イスタンブル)で、次いでアテナで古典的なキリスト教の教育を受けた。また、この間にナジアヌスル・グレゴルと知り合っている。その後、彼は当初の目的であった説教者としての職を捨て、自らを修道士生活に捧げるために生まれ故郷であるカッパドキアへと戻り、エジプトとシリアにある修道院を見て回った後、ポントス近郊のネオ・カイセリアで修道士生活を始めた。 修道院での集団生活を広める事にも積極的であった聖バジルは、隠遁生活を送る人々に対し、単独での隠遁生活では神に対し正しい奉仕ができないとして修道院に集まるよう説得した。 聖バジルのこの行為と学説は、現在もキリスト教社会において重要視されている。例えば飢饉の際、一切れのパンがあったとするとキリスト教徒達はそのパンを二つに分け、一つは空腹の者に与え、もう一つは神の守護のために残すということを説いていた。しかしながら、聖バジルはただ信仰にのみ生きる生活ばかりを送ってはいなかった。 例えば、村や町からできるだけ離れたところに社会における精神的避難所としての小さな住み処を作り、社会で苦しむ人々が、日々の礼拝によって苦しみから救われるような環境を整えた。そこでは説法者の管理のもとで礼拝が行われ、大いに発展をとげた。しかしこれらはエジプトやシリアのキリスト教徒達のような特権的な存在になるには至らなかった。その後、彼は379年1月にカイセリでその生涯を終えた。 治療と看護のための施設を作らせ病人の支援を行った聖バジルは、カッパドキアにおける6大教会夫の中で最も重要視されており、カッパドキアの教会のアプスにおいては常に壁画の中央に位置している。 聖バジルがカッパドキアの教会等で行った重要な改革は、信徒達に祈りの方法を新たに作ったことである。現在のギョレメ野外博物館は、この教えが始まった場所であり、ソーアンル、ウフララ、アチュックサライなどは更に後になって教えが伝わった所である。
4月23日にキリスト教徒達によって祝われる聖ゲオリオスは、カッパドキアに暮らしていたキリスト教徒の両親のもとに生まれた。キリスト教徒でありながらローマ軍において将校であった彼は、皇帝ドクレティエンの弾圧の犠牲となり様々な拷問にさらされた。火あぶりや、釜ゆでにされたり、また車輪の下敷きにもされたが、いつも奇蹟的に命を取りとめていた。しかしついには303年リディア(パレスチナ)で首をはねられ死を迎えた。巨大な竜に呑み込まれる王の娘を神の助けを借りて救ったという彼の伝説は、後の世になってから語られるようになったものである。 ギョレメの教会建築(Church Architecture in Goreme)
ギョレメの教会は岩を掘ってつくられた後、内部の岩の壁面を整えるためにワラや火山灰を混ぜ合わせた石灰が漆喰として使われた。細かいワラを混ぜ合わせたフレスコ画の原料と大量の砂は、まるで乾いた粘土のようになるのだが、これは砂の成分の中に火山灰が含まれているからである。これら壁面整えるための材料の層の厚さは2mmから4mmである。 壁面の塗装は床ができあがってからピグメント(塩の塗料)とカゼインとを混ぜたものを、漆喰の表面にテンペラ(セッコ)技法{後述}によって塗られた。 ギョレメの教会でよく見られる単拝廊、アーチ形天井タイプの建築様式はこの地方で生活していた信仰共同体の人々と隠遁生活を送っていた人々にとって最も適した建築様式であった。また、この種の建物は教会としてだけでなく墓としても使われていた。ギョレメにある長方形型設計のメソポタミア様式の建物は、おそらくは遠方からこの地方に移ってきた移民達のために作られたものである。 単拝廊ではなく2つの拝廊をもつタイプはとてもまれであり、聖オウスタティオス教会のみがこの様式で作られ、逆にソーアンルとウフララの教会ではこれが広まった。 また、3つの拝廊をもつバシリカ様式の教会もギョレメでは珍しく、ドゥルムシュ・カディル教会のような司教の管理下にあった教会で好まれ用いられているが、この建築様式は建物自体が高く壮麗であったゆえに、熟練した職人が必要とされたため、カッパドキアのような岩の教会ではあまり多く用いられていない。 一般的に3のアプスのうち1つが祭壇として使われ、そして南西側には宗教儀式を司る人々のための座席が用意されていた。 絵付けの技術(Painting Techniques) 教会の壁画には2つの絵付けの技法が使われており、1つは石膏と漆喰を使わずに岩の表面に赤土とともに直接塗り込む方法で、主な岩は背景として使われている。 初期ビザンツ期の教会や礼拝堂で見られるこの技法にはマルタ十字の幾何学模様や、植物をモチーフにしたものが多く使われている。 後期ビザンツ期にはこれらの壁画の上に漆喰をぬり、そこに聖書の場面などが描かれた。 ギョレメ野外博物館においては、トカル教会、聖バジル教会、エルマル教会、そして聖バーバラ・チャペルで、またゼルベのバックル教会や、オルタヒサールのフルカタンでこの技法によって描かれた壁画をみることができる。 もう一つの技法は石膏を漆喰の上に塗り込む技法であり、漆喰が乾く前に絵付けを行う“フレスコ画技法”(タトゥラリン教会のみ)と、漆喰が乾いてから絵付けを行う“セッコ技法”の2つがある。絵付けが終わった後、壁画を色鮮やかに仕上げるために草木がら作った液体を表面に塗ることによって絵にツヤを与えていた。 これら教会や礼拝堂の壁画の多くは、イエスの生涯、聖書やモーゼの五書の場面を描いたものが多く、またキリスト教における聖徒達や、カッパドキアの重要な人物の描写もよくみられる。一般的に教会のドーム部分にイエス・キリストや天使などの不滅の存在が描かれ、壁面には聖徒や人々、アプスにはディーシス{後述}が描かれている。 ギョレメの教会における聖書の場面(The most frequently featured scenes in the Goreme Churches) ディーシス(deesis) カッパドキアの教会等で最も多く描かれている場面の1つであるディーシスは、古い祈りのスタイルのことで、一般的に教会のメインアプスで見ることができる。 イエスは右側の聖母マリア、左側の洗礼者ヨハネに挟まれるようにして描かれ、そこではイエスが人々の犯した罪のために、神の許しを得ている場面が描写されている。 受胎告知(annunciation) 天使ガブリエルはヨセフと婚約した処女マリアの前に現れ、彼女がこれから御霊によって妊娠しイエスと呼ばれる息子を産むであろうと伝えた。マリアの親戚であるエリザベスも高齢にもかかわらず男の子を身ごもり、更に妊娠6ヶ月であることを告げられた。(ルカによる福音書1:26-27)カッパドキアの教会における受胎告知の場面はマリアが家の前で天使と話している形で描かれている。 訪問(the visitation) マリアは受胎告知の後、ユダの町へと出発しエリザベスとその夫ゼカリアに会う。 エリザベスはマリアの挨拶を聞くや否やお腹の子が動くのを感じ、彼女は御霊に満たされます。そしてマリアが全ての女性の中で祝福された者であり、マリアのお腹の子も神聖な存在であることを伝えた。(ルカによる福音書1:39-56) この場面でマリアはエリザベスより年上に描かれており、二人は抱き合った形で描かれている。 ベツレヘムへの旅(journey of bethlehem) 皇帝アウグストゥスの時代に行われた初の人口調査のために、人々はそれぞれの住む町で調査を受けなければならなかった。ヨセフとマリアもまた、このためにナザレの町からベツレヘムへと旅立つのであった。 この場面ではマリアはロバに乗り、ヨセフと召使いと共に旅をする様子が描かれている。 誕生(nativity) マリアとヨセフはベツレヘムへの旅の途中、旅宿を見つけることができずにある馬屋で宿をとることにした。しかしそこでマリアは男の子を産み落とします。(マタイによる福音書1:18-24, ルカによる福音書2:1-7) イエスの誕生の場面では、ヨセフとマリアそして生まれたばかりのイエスが“聖なる家族”として描かれています。飼葉おけにいるイエスを牛とロバが息を吹きかけイエスを暖め、マリアは横になり、ヨセフは驚きと深い感慨に耽っている。 三賢者の参詣(adoration of magi) 天の星の動きに気づいたキャスパー、メルキオル、バルタザルの三人の博士は東の空にイエスの星を見つけ、その星を追ってイエスの生まれた場所へとたどり着いた。 三人は母マリアと共にいるイエスを見て、ひれ伏し拝んだ。そして持ってきた宝箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。 (マタイによる福音書2:1-12) この場面で三賢者のうち一人は若く、もう一人は中年、そして後の一人は老人で、彼らの服装が王の服装に似ていることから“王の参詣”とも言われている。 エジプトへの逃亡(flight of egypt) 三賢者が去った後、ヨセフの夢に天使が現れ、ヘロデがイエスを捜し出して殺そうとしているので、イエスとマリアを連れてエジプトへ逃げ、そして再び天使が知らせるまでそこにいるように伝えた。この間ヘロデは、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺うよう兵士達に命じていた。ヘロデが死んだ後、ヨセフの前に再び天使が現れ家族と共に故郷へ帰るように伝える。(マタイによる福音書2:13-18) この場面でマリアとイエスはロバに乗っており、ヨセフはその後ろに立っており、またこの“聖なる家族”の傍らには男達の姿もみえる。 洗礼(baptism) イエスはヨハネから洗礼を受けるために、彼の住んでいるヨルダン川へと向かった。 しかしヨハネは、自分こそイエスより洗礼を受けねばならないとして、イエスの申し出を断った。するとイエスは、神の意思に従うことこそ大事であるとして、ヨハネの洗礼を求めた。ヨハネはこれを受け入れイエスに洗礼を施した。イエスが水の中から上がると天が裂けて御霊が鳩のようにイエスの上に降りた。そして天から声がした。「あなたはわたしの愛する子、わたしは嬉しい。」(マタイによる福音書4:13-16, マルコによる福音書1:9-11, ルカによる福音書3:21-22) この場面で、ヨハネはイエスの頭に手をかざし、イエスは川の中で裸で立ち、両脇から人の天使が衣を差し出している。また、いくつかの壁画には川を濁らせようとする悪魔の姿もみられる。 ラザロの復活(raising of lazarus) ラザロはマリアとその姉妹マルタの兄弟であった。姉妹は最愛のラザロが病気であることをイエスに伝えイエスの助けを求めた。しかしイエスは2日間その場を動こうとせず、ラザロの病気を治そうと決めた時には、すでにラザロは死んでしまっており埋葬されて4日が過ぎていた。イエスはマリアと泣いている人々に、ラザロがどこに埋葬されているのかを尋ねた。ラザロの遺体はある洞窟に埋められいて、その洞窟の入り口には石がたてかけてあった。イエスはその石をどかせると、目を天に向けてこう叫んだ「ラザロよ、出てきなさい。」すると、死んでいたラザロが手と足と顔を長い布で巻かれたままで出て来た。(ヨハネによる福音書11:1-44) この場面で、ラザロは白い布で包まれており、姉妹達は墓の前にひざまずいている様子が描かれている。 キリストの変容(transfiguration) ある日イエスはペトロとヨハネ、そしてヤコブを連れて山へと向かった。イエスが祈りを捧げているとイエスの姿が変わり、その衣は稲妻のように真白く輝きイエスを包み込んだ。その時イエスはモーゼとエリヤが語らっている様子を見る。話の内容はこれからエルサレムで起こる死についてであった。ペテロと仲間達は、ひどい睡魔に襲われながらもイエスと語らう2人の預言者の姿を見るのであった。そして雲が湧き上がりイエスとモーゼ、エリヤを覆い込み、それを見た弟子達は恐怖のあまり山裾へと隠れた。すると、その雲の中から声が聞こえ「イエスはわたしの愛する子である。わたしの心にかなう者である。これに聞け。」と伝えた。 この場面で、イエスは山の頂上で輝く光りの中でモーゼとエリヤと語らい、ペトロとヤコブは山の裾野で隠れている様子が描かれている。 エルサレム入城(entry into jerusalem) イエスがエルサレムの近くに来ると、イエスは2人の弟子を使いに出し、まだ誰も乗ったことの無いロバを連れてくるように命じた。さらに、もし誰かが何か言ったら、「『主がお入用なのです。ロバはすぐ返します。』と言いなさい。」と伝えた。イエスがロバに乗ってエルサレムに入ると、町の人々は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は葉のついた木の枝を切って来て道に敷いた。 そしてイエスは寺院へと向かった。(マルコによる福音書11:1-11, マタイによる福音書21:1-11, ルカによる福音書19:28-40) この場面で、イエスはロバに乗っている姿で描かれ、人々の歓迎を受けている。また、壁画には木に登っている者が描かれているが、この人物は不誠実な者、ザクレウスである。ザクレウスはイエスを自分の家に泊めて、イエスのために働くことを約束した。 最後の晩餐(last supper) ユダヤ教徒は4月7日から7日間、酵母の入っていないパンを食べます。そして4月14日の夜に犠牲として捧げた羊を夜明けと共に食べます。 イエスは弟子達に食事の準備をさせて、食事の前に弟子達の足を洗った。そして夜になり、イエスと12使徒が食卓についた。12使徒のうちの一人であったイスカリオテ・ユダは、30枚の銀貨と引き換えにイエスを大司祭に引き渡すことにしていた。イエスは食事の時に「私を裏切ろうとする者の手と私の手とが同じテーブルの上にある。」 と言った。(ルカによる福音書22:21)ヨハネによる福音書ではイエスが「この中の誰かひとりが密告者です。」と言ったと書かれている。12使徒達はイエスが誰のことを言っているのか判らないため、お互いの顔を見合わせている。(ヨハネによる福音書13:21-23) この場面では、食卓を囲むイエスと12使徒が描かれ、テーブルの皿には魚が見える。 ユダの裏切り(the betrayal of judas) イエスと弟子達がオリーブ山で祈りを捧げている時、12使徒のひとりユダが現われた。剣や棒を手にした群衆も一緒であった。群衆は皆、大司教から差し向けられたものであった。 ユダは彼らと前もって次のような合図を決めておいた。「私が口づけをする者がイエスだ。その者を捕まえるのだ。」そしてユダはイエスに近寄って「先生」と言って口づけし、イエスは捕まってしまった。 この後ユダは、良心の呵責(かしゃく)により自殺した。(マルコによる福音書14:43-47,ヨハネによる福音書18:10-11, ルカによる福音書22:47-54) この場面では槍を持つ群集、その前にはイエスに抱きつくユダが描かれている。 イエスの磔(はりつけ)(the crucifixion) イエスを十字架に架けた4人の兵士は、イエスの着ているものを自分達で分けあったが、シャツだけは1枚布でつなぎ目が無く、分けられなかったために、くじ引きをして分けた。 十字架に架けられたイエスの傍には聖母マリアとヤコブとヨセフの母マリヤ、マグダラのマリヤがいた。イエスは母マリアと最愛の弟子であるヨハネを見ると、マリアへ「母よ、あなたの息子です。」と言い、ヨハネには「あなたの母です。」と言った。イエスの前に立っていた2人の兵士のうち一人が、手に持っていた槍でイエスの胸を突くと、そこから水と血があふれ出た。もう一人が酢いぶどう酒を満たした海綿を葦の棒につけ、イエスに飲ませようとし、イエスは「時は来たり」と言い目をつぶった。(マタイによる福音書27:32-44,マルコによる福音書15:21-32, ルカによる福音書23:26-43) トカル(バックル)教会(Tokali (Buckle) Church) この地方で最も古いと言われているこの岩窟教会は、単拝廊をもつ旧教会、新教会、旧教会の下の教会、新教会の北側に面した礼拝堂の4つの間から構成されている。10世紀初めのものと思われる旧教会は、現在新教会の入り口の広間になっており、本来の姿は単拝廊のアーチ形天井タイプの建物である。東側には新教会を作る際に増築されたアプスがあったが、すべて崩れ落ちている。フレスコ画などの壁画は、アーチ天井と壁面の上部に描かれ、イエスの生涯を主として場面ごとにパネルに分かれ、右側から始まり左側へ順を追っていく形で展開されている。 場面:アーチ形天井の中央に聖徒像、右側のパネルには受胎告知、訪問、処女立証、ベツレヘムへの旅、誕生、左側上部のパネルには三賢者の参詣、無実の子達の虐殺、エジプトへの逃亡、イエスの寺院参詣、ザガリアの殺害。右側中央のパネルには、エリザベスの追跡、洗礼者ヨハネの宣教、洗礼者ヨハネの予言、ヨハネとイエスの対面、洗礼、カナの婚礼。左側中央のパネルにはワインの奇蹟、パンと魚の奇蹟、12使徒の召命、盲人の奇蹟、ラザロの復活。右側下部のパネルには、エルサレム入城、最後の晩餐、ユダの裏切り、ピラト提督の前のイエス。左側下部のパネルにはゴルゴダへ向かうイエス、十字架のイエス、十字架より降架されるイエス、イエスの埋葬、空になった墓の前の女達、イエスの地獄征服、イエスの昇天、このパネルの下に聖徒像、そして入口の上にはイエスの変容場面が描かれている。
新トカル教会は長方形型設計で簡単なアーチ形天井の教会である。東側の壁でアーチが互いにつながっており、4本の円柱と、柱の裏には延長された廊下、廊下の後ろにはメインアプス、その隣には2つの小アプスがある。アーチ形天井に描かれたイエスの生涯は年代記順になっており、主に赤と青の色が使われている。群青色(ラピス色)はトカル教会と他の教会とを区別し、見分けるための重要な特徴である。長く延びた壁面には、聖バジルの生涯や様々な聖徒とイエスの起こした数々の奇蹟の場面が描かれている。この教会は10世紀末から11世紀初めのものと思われる。 場面:天井アーチの北側には受胎告知、訪問、処女立証、誕生、三賢者の参詣、北側の壁面にはヨセフの初めての夢、ベツレヘムへの旅、下部の壁面には8人の聖徒像、一番下には洗礼者ヨハネの宣教、ヨハネとイエスの対面、洗礼、イエスの寺院参詣、マタイの宣教、12使徒の召命、カナの婚礼。西側にはエジプトへの逃亡、イエスの試練、寺院での12歳のイエス。天井アーチ中央にはイエスの昇天、12使徒の神からの召命、南側では初めての弟子達、ペンテコステ (聖霊降臨) と12使徒の神からの召命がある。南側壁では名もない天使達、下には壁がんに聖徒達、一番下には裕福な男の息子の治癒、ヤイロの娘の治癒、中風治癒等の奇蹟、ラザロの復活、エルサレム入城、最後の晩餐、西側には使徒の足浴、メインアプスでは十字架のイエス、十字架より降架されるイエス、空になった墓の前の女達、イエスの地獄征服、メインアプスの前面には初めての弟子達、イエスとソマリア人の女、壁がんにはマリアと幼少のイエス、北アプス等で預言者達と天使達がある。 |
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