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ハサン山の麓の広い平原上でアナトリアを東から西.南から北へつなぐ国道の交差点にある。特にローマ時代に重要な町だったアクサライは名をカッパドキア王アーケライオスからとった。11世紀セルジュク人達の主権下に町の名は“アクサライ”に変更された。 町の中心にある最も古いセルジュク人の作品として傾いた尖塔(クズルミナーレ)があり、それはセルジュク系スルタンアラデインケイクバットの父、スルタンケイフスレヴ1世によって1221〜1236年の間に作られた。赤レンガで作られた尖塔の本来の名は、オスマン朝バディシャフ・ムラト4世の時代の記録によるとケイフスレヴモスクとその尖塔である。しかし地元民によって“エーリ・ミナーレ(傾いた尖塔)”もしくは“クズル・ミナーレ”と呼ばれるようになった。本体は立方体、土台は円筒形であり細かい柄で2分されている。下の部分はジグザグに模様づけられ曲った尖塔の上の部分を青と緑のタイルで覆っている。しかしこのタイルの大部分は、はがれ落ちている。尖塔のバルコ二ーヘ92段の石段から出られる.現在トルコの“ピサの斜塔”として呼ばれているこの尖塔はいつ傾いたのか確かな記録はない。 他の重要な作品として15世紀から残っているウルモスクとジンジリィエ・メドレセ(メドレセ=イスラム学院)がある。カッパドキア地方の重要な観光ポイントであるウフララ峡谷とギュゼルユルト郡もアクサライ県に含まれる。 |
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